僕の後手でした。対中飛車の戦型に。
やや指せるかと思っていましたが、実際はずっと難しかったようです。
下図は最終盤の局面。相手が△2八金の王手に▲1七玉と逃げたところ。僕は既に一分将棋でした。
ここで秒に追われて指した△2七金が敗着になりました。
意味としては▲同玉に△2五銀とすれば後に▲3七馬と取れない(△同桂成が王手になる)というものでしたが、金を渡したため自玉が詰めろ(▲3三金△同桂▲1一飛成以下)になってしまうのを見落としました。
ここは普通に△2五銀とする一手でした。以下▲3三金△同桂▲2一飛打△1三玉▲3七馬(これで負けと思ってしまいました)と進みますが、そこで△2四玉とすれば難解な終盤戦がまだまだ続いていたはずです。
せっかくのモバイル中継でしたし、あっさり終わらせてしまい残念です。
反省点はいくつかあるのですが、自分だけ一分将棋はよくないですね。って当たり前ですけど。
あそこでせめてもう一分あったらなあ・・・もちろん全て含めて実力ですが。
気を取り直してまた頑張ります!!
コメント
実力通りの順当な結果だと思います。
アマチュア棋士の天野貴元さん死去。
ご冥福をお祈りいたします。
瀬川先生、残念でしたね。途中まで優勢に見えていたのですがそうでもなかったのですね。今週はすぐに順位戦が控えています、気を取り直して頑張ってください!
同じ1分でも、毎朝あと1分~((((;゚Д゚)))))))と職場に駆け込んでいる私とは大違い(⌒-⌒; )
お疲れ様でした。
結果残念でした。
以前、瀬川五段御自身が言及されていた「命の一分」と云うやつですね。終局まで一分将棋で指し続けなければいけないか、二分残しておいてここぞと云う場面で二分考えられるか、の違いは物凄く大きいのでしょう。
休む間もなく順位戦ですね。応援しています。
お疲れ様です。将棋の格言はたくさんあるんですけど、それらが本当に正しいのかどうなのか疑問がある物もあるとおもいませんか?そこで今日は一つ将棋の格言について書きます。将棋には「相手の打ちたいところへ打て」という格言があります。これはアカデミックの世界ではどうなのか?どう思われますか?これ正しいんです。
経済学で出てくるんですけど、ある限られた資源分配の中では相手の効用(満足度)を下げることでしか自分の効用は上がらない。これを社会学者ヴィルフレド・パレートが提唱したパレート最適といいます。将棋だと消し合うということでしょうか。試合の流れだとまぁ剣道の本質などは「先」を取る(中心を取って攻める)のが一番で、次に相手の動きに「応じる」「消す」「崩す」、そして「打つ」事になります。
今回の対局の感想は、瀬川さんの角の軌道と飛車の横ぎきが限定されてしまった事とその分相手の中心の技を消した事、この消し合いが今回の印象です。消されても、例えば鐘が鳴った後、音の余韻が残りますね、そんな余韻が残らないといけないのです。そういうイメージですイメージ的にはですよ。というか終盤でしたね今回は><
これはもう振り出しかもわからんね
敗戦残念でした。王座戦もう少し見たかったですがやはり甘くないといったところですかね。
これからですよ。